top of page
ブログ


久世三四郎広宣 生い立ち③
武家事記 - 国立公文書館 デジタルアーカイブ 先の生い立ち②のブログで指摘した、これまでの生い立ちに関する違和感は下記のとおりです。それでは、なぜ違和感を覚えているのかについて説明します。 1) 広宣の母親が二歳の幼子を連れて、三河から遠江国城東郡横須賀の地まで来たの...
9月7日


久世三四郎広宣 生い立ち②
八木美穂著 「郷里雑記」 国立公文書館デジタルアーカイブ 久世広宣の生い立ちについては、現在の静岡県掛川市西大渕にある久世山浄泉寺の案内板を前回のブログでも紹介しました。浄泉寺の案内板、Wikipedia、その他のブログなどでは、概ね父の平四郎長宜が三河一向一揆で討死後、...
8月31日


久世三四郎広宣一門とは
久世三四郎広宣一門会は、久世三四郎広宣を始めとする久世家の先祖を偲ぶ親睦会と謳っています。では、久世三四郎広宣を祖とする久世家とは、具体的にどこまでを想定しているのか、という疑問にお答えしたいと思います。
2024年8月17日


三河一向一揆(岡崎市勝鬘寺)
岡崎市針崎町の勝鬘寺は、本證寺、上宮寺と並び三河三ヶ寺と呼ばれ、永禄6(1563)年の9月から翌年3月に勃発した三河一向一揆の拠点のひとつになった寺です。
2024年8月4日


久世三四郎広宣 生い立ち①
三四郎広宣は、我々の祖にして我々が集う人物です。
2024年5月25日


岡崎市井内八幡宮(三河井内城跡)
三四郎広宣が坂部三十郎広勝と共に城主を務めました。
2023年10月1日


久世平四郎長宜供養塔
久世平四郎長宣(天文9(1540)年~ 永禄6(1563)年11月21日(12月6日))
掛川市大淵の法華寺(陣門流)久世山浄泉寺の墓域内に久世氏の供養塔群があります。
2023年6月1日


久世平太夫広長供養塔
愛知県岡崎市竜泉寺町 海雲山弘誓院長福寺
久世平太夫広長(生年不詳~天文15(1546)年10月8日)
2023年5月1日
bottom of page
