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久世三四郎広宣 生い立ち①

更新日:2024年7月9日


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 この写真は、静岡県掛川市西大渕5734にある法華宗(陣門流)久世山浄泉寺の由緒書きです。これによれば、永禄六年に父の長宜が三河一向一揆の際に宗門側に組し討死した後、広宣は母親と流浪の末、高天神城の小笠原氏を頼ってこの地に来た、とあります。

 浜松市の郷土史家、神谷昌志先生著述の「遠江武将物語」の中で、江戸後期に編纂された国学者八木美穂(やぎよしお)著述の「郷里雑記」の中に、広宣が母親と共にこの地に暮らしていた話があると指摘しています。「郷里雑記」によると、浄泉寺には久世家の系図等を秘蔵している、との記述がみられるそうですが、今は何も所蔵されていません。

 この辺りについては、広宣の生い立ち含めて、別の機会に詳しく記したいと思います。

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